映画 月

原作本があることも
監督が石井裕也さんであることも知らず

10月13日(土)にどの映画を見ようか
金曜日の夕刊を見ていたところ
読売新聞の映画評が気になったので
急遽鑑賞することを決めました。

相模原の障害者施設で起きた
殺人事件をモチーフにした内容
という予備知識だけで見に行きました。

ちなみに
問題の殺害シーンは
終盤に少しある程度で
ホラー映画ではないので
殺害行為をそのものを直接的に
表現することはありません。

なのに
2時間44分
という長さを感じさせません。

磯村さん演じる
通称さとくんは

こころがあるのが人なのだから
こころがない障害者は排除していい
という理由で殺人を正当化します。

彼がいう、こころがある・なし
はコミュニケーションがとれるかどうかが基準です。

さとくんが同棲している彼女は
耳が聞こえない聾唖者なので
社会的には障害者になりますが
彼の理屈では人になります。

映画では
さとくんが上記の考えに至る瞬間があるのですが


鑑賞中は
あの場面を目撃しただけで
あれほど極端に考えが変わるのかな
と疑問に思いましたが

後になって
極端な考えにフタをしていたが
そのフタが外れたにすぎない
のかもしれない
その意味では
誰もが(私も含めて)
さとくんのような考えになる可能性がある

と考えるようになりました。


パンフレットに掲載されている
インタビューの中で
インタビュアーが

さとくんを含む主要な登場人物4人は
みな表現者としての顔を持っており
自分の感情を表現できない施設の入居者と
対の構造になっている

という指摘をしており
この指摘がこの映画の核と感じました。

以上