自己紹介(2)なぜ国税審判官になったのか

前回の私の経歴(1)では司法試験合格まで書きましたが、
今回は、司法試験の選択科目に租税法を選択しなかったのに、
どうして国税審判官になったのかについてお話します。

なぜ国税審判官になったのか

国税審判官になった一番大きな理由は、
税務業務に従事する近道が国税審判官だったからです。

法律問題の解決には金銭や財産の移転を伴うので、
法律問題は課税リスクから逃れることはできません。
そうだとすると、法律問題の解決に奔走する弁護士には、
解決のための選択肢が複数ある場合には、
課税リスクが低い選択肢を採用することが求められるといえるでしょう。

そうした考えのもと、自分なりに税務知識の吸収に努めていましたが、
税務知識がないと依頼者に迷惑をかけることを示す事例に触れたことで、
税務業務への関与を本気で考えるようになりました。
その事例とは、国税不服審判所のホームページで公表されている
平成26年6月2日裁決の事例です。
https://www.kfs.go.jp/service/JP/95/16/index.html

このページをご覧になっている方の多くは税のプロの方だと思いますので、
詳しい事案の説明は省略します。

この事案の相続人が小規模宅地の特例の適用を受けるためには、
申告期限から3年が経過する平成25年2月までに調停を申し立てる
などの法的手続きをとる必要があったにもかかわらず(措置法第69条の4ただし書き、措置法施行令40条の2が準用する相続税法施行令4条の2)、

そのような法的手続きをとらないまま、遺産が未分割であることについて
やむを得ない事由がある旨の承認申請を行ったため、却下された結果、
相続人は小規模宅地の特例の適用を受けることができなくなってしまった、
という事案です。

平成25年2月までに遺産分割調停を申し立てさえしていれば、
十中八九、承認されたケースだと思いますので、
担当弁護士が遺産分割調停を申し立てなかったのは、
単に、特例を受けるための手続を知らなかっただけだと思います。

税理士事務所で働くことを模索した時期もあったのですが、
年齢や弁護士であることがかえってマイナス材料となり、
業務として税務に関わることは難しかったことから、
弁護士を積極的に採用している審判所にシフトチェンジしました。

国税審判官は採用時に配属先も決まるので、
応募書類に勤務地に関する事項の記載が必須となります。

私はあらゆる税目に関与したかったので、
東京や大阪のような都市部ではなく、小規模の支部を希望しました。
その結果、採用時の配属先は金沢支部となりました。

国税審判官として得られた経験

金沢支部には合議体が1個しかないので、金沢支部の審判官は
金沢国税局管轄で発生した全ての事件の審理に関わることになります。
その結果、すべての税目に関与することができましたし、
相続税に至っては、広大地という都市部ではおよそ
関与することができない事件にも関与することができました。

金沢支部は合議体と法規審査のメンバーが同じ部屋で執務するので、
法規・審査がどのようなプロセスで議決書を裁決書にしているのか
などを目の当たりすることができ、
審判所の業務の一連の流れをすぐに把握できることもメリットでした。
そのお陰で、横浜支所に異動した後も、次の業務を先読みしてできるようになりました。

金沢支部で関与した税目は法人税が最も多く、次が相続税で、所得税は
担当審となった事案はゼロで、参加審として1件あるだけだったのに対し、
横浜支所の2年間で関与した税目は、所得税が最も多く、次が相続税で、
担当審となった法人税の事案は1件だけでした。

その意味では、金沢→横浜と異動したことによって、
各税目を満遍なく担当できました。

担当審判官として

詳しく言ってしまうと、守秘義務に抵触してしまうので、
抽象的に言いますが、担当審判官として、複数の事案を取り消しています。

具体的な数値は言えないのですが、
公表されている割合を上回る数値であり、
野球ならば確実に首位打者が獲れるレベルです。

これは私が担当審だったからということではなく、
単なる事案の巡りあわせによるものにすぎません。

しかし、複数の取消事案に関与させてもらったことで、
取り消す場合と棄却する場合の手続きの違いや
取り消される原処分はどこに問題があるのか
を体感することができました。

この経験は、納税者の代理人として税務署や審判所と
対峙するときにとても役立っています。

(第3回に続く)